てさプルを見た。声優の統治という問題系は、まあともかく。(そんなものはフーコーにでもアウトソーシングしてればよろしい)

すみぺのことだ。否応なしに問題系がおのれを捕らえて離さない。それは実存の系としてであって、たとえば洲崎西への聴覚とは根本的に異なる。インターネットというかつてのサブカルと呼ばれうるもののレポジトリーであったテクノロジーによる駆動という点での同一性をまざまざと見せつけられながらも、中野やあるいは原宿といった物理的固有名による物理から構成されるもうひとつのサブカルに対する非同をひしひしと痛感させられる。こういう概念でしか私が意識を働かせることができない、そういった空間に人格がいる。

だから、他の声優と相対したときのコミュニケイションの絶えざるつまづきとなめらかさに不可避に感情がみだされるのだけれども、てさプルではそれが一層激しくなって、もはや嫉妬なのか諦念なのか世界への態度表明なのかまったく自身でもわからない。おそらく少なくとも明らかなのは、おのれにとってより実存であるようなすみぺという全き不当で邪悪な理念型から世界を眺めていることだ。たとえば、院進してロシア文学をやっているようなそれだとか(かつてラジオでベリャーエフの話をしていたことを思い出している(と思ったが調べてみたらソ連映画版の方の話をしていただけのようだ))。

…いや、うまく言葉にできない。

ここでなんとか言語としようとしているのは、6話を見ていて、鈴木結愛(西明日香)の「わたし、友美ちゃん大好きなんだけど」のセリフになぜか異常に心を乱されてしまった経験を意味化したかったというだけのことだ。

やはり、たんに嫉妬なのだろうか。

わからない。