勉強はしなかった。しなかったのだ。

 

タルコフスキー映画祭なるものを渋谷でやっていたのでちょっと行ったり。

僕の村は戦場だった

イワンがものすごくエロかったのでびっくりした。ホーリン大尉と抱き合ってキスしてるシーンなんか、ああ、もう愛人だこれ、と思わずハラハラしてしまった。映画の中盤を占める看護兵マーシャのエピソードがややわからず。マーシャをめぐる、ホーリン大尉とガリツェフ中尉とのやりとりから、どうもこの映画はホーリンとガリツェフの対立が根底にあるような感じがする。イワンが母を殺したドイツへの復讐心に燃える半ば機械として、その無垢さで画面を満たすのだが、その無垢さが戦争という人間臭さ、同じ軍の将校間の微細な対立の襞をより深くするようにと使役されている、けっきょくのところ。

『ローラーとバイオリン』

こういう機械文明賛美ってのは現在はほんとになくなってしまったのだなぁ。理性崇拝とかもっとちゃんとやっていいと思うんだけど。なかなか難しいのかしら。まあアップルはちょいとスマートすぎるもんね。映画は特に言うべきことはない。

『アンドレイ・ルブリョフ』

すまない。1時間くらい寝ていた。いや、これは寝る。寝てしまう。さすがタルコフスキーの映画である。ちなみにこれがタルコフスキー作品で初睡眠である。ロシア的情感に満ちすぎていて、理性に頼らなさすぎである。たとえば日本映画で清流だとか森林の紅葉だとかお寺とか素晴らしい構図でえんえんと撮っても、それは寝てまうわ、という感じである。いや、タタール兵による虐殺で気が狂ってしまった女が、その後タタール兵にちやほやされて喜び、修道士が止めようとしても振り切ってタタール兵と一緒に行ってしまう、とか、個々のシーンはよいところがあった。が、とにかく寝ていたので全体像がわからぬ。すまぬ。