#2

久しぶりに更新。一息ついたのでこないだの小説の続きをのせます。

さらに続きを書くかはかなり怪しい。

 

 頭で決めた覚悟がわたしの全身に浸みわたっていって、心臓の鼓動がどんどんはやまることを止めることができない。だいじょうぶだいじょうぶ、死体はこれまで何度もうまく処理してきたし今度だってばれることはないし、相手はおんなじ背格好の女の子だから不意を打てば簡単にやっつけられるのだから大丈夫大丈夫と、何度もわたしはわたしに言いきかせるのだけれど、足の震えるがくがくの振幅がどんどん大きくなって、自分の意志ではどうにもならない。
 サラリーマンのポケットに手を突っ込んでいるわたしと、腕組みしてわたしを見つめている彼女との間は少し離れていて、すぐさま飛びつくことは難しい。しかも彼女は思いっきりわたしを訝しんでいるから、まずは緊張を解かなくてはいけない。会話をして、彼女の警戒を解かなくてはいけないのだ。返答をしなければいけないのだ。わたしは決して怪しいものではないと。
 わたしは口を開いて息を吸った。
 ……声が出せなかった。みじろぎもできない。
 彼女はしばらく黙ってわたしの返事を待っていたが、わたしが固まったままなのにしびれをきらせたようにもう一度、詰問した。
「何してるの? しゃがんだままでさ、何か言いなさいよ。その倒れてるの……死んでるんでしょ? なに、死体漁りってわけ?」
 わたしの振る舞いをただしく表している彼女の声はわたしの声よりもちょっと高くて、声色はまさしく尋問する時の声色なのだけれど、どうしてだか不思議に事務的すぎるような気がした。
「その制服、ウチの高校ね。でも……どうしてそんなに汚れてるの?」
 そう、今まで黙っていたけれど、わたしの制服は外にいる間ずっと着ていたせいですっかりへたってしまっていて、この辺ではお洒落で鳴らしてるデザインのプリーツスカートの折り目の見えないところにはみっつも穴が開いていたりするのだ。みっつも。でも、この崖の周りにはあのおばあさんのコンビニを除けば店らしい店はなくて、だからもちろんクリーニング店なんか影も形もなくて修復のしようがないのだし、まあ、たとえあったとしても人目をはばかるこのわたしでは、利用できやしないのだけれども。
 そんなふうにあたまのなかではすらすらと弁明することばがわたしの口からは、出てこない。
「……」←黙るわたし。
「……」←睨む彼女。

 ……沈黙。

 ……。

「……っ、ふー」

 と、不意に彼女が深く息をついた。
「……沈黙は金ってこと? ま、いいんだけどさ」
 それから組んでいた腕の力をゆるめた。もしかしたら彼女もわたしと同じように緊張していたのだろうか。きつくかたまっていた彼女の指がゆるんで下にずれて、掴まれていた二の腕のところに腕章が隠されていたことに気づいたのだけれど、何が書かれているのか、文字のようだったことはかろうじてわかったのだけれど、離れていたせいで意味を読み取ることはできなかった。
「……きつく言いすぎたわね。癖なの。あんたが何をしてるのかうすうす分かってるけどさ、わたしはべつに告発したり責めたりしようってつもりはないから」
 関係を融和させようと歩み寄ることばを口にしていても、彼女の声音は不信と疑惑のせいかいまだ硬く、しかも自身の声音の生硬さにどこか戸惑っているようだった。
 彼女が半歩だけわたしに近づいて、その足の動きにわたしはじっと目を注ぐのだけれど、彼女はわたしの意図にもちろん気づく節もなく、詰問口調の詰問を続ける。
「あんた、うちの学生よね。何年生?」
 何年生?と問う彼女の発音がなめらかで自然で、こういう風に詰問することを繰り返して繰り返してきたのだろう時の重みを感じたのだけれど、ところでわたしはいったい何年生なのだろう? たしか高校ってゆうのは一年生二年生三年生まであるのだからわたしは一、二、三のどれかなのだろうけれど、これまでずっと不登校で一度も学校に行ったことがないから、わたしは自分が何年生かなんて全然気にしたことさえなかった。
「し、知らない」
 唐突にわたしの喉がふるえた。
 がくがくとふるえていた足の力が抜けて、膝小僧がぺたんと地面につく。
「知らないってどういうこと? 意味わかんないんだけど」
 彼女が顔をしかめる。わたしの喉のふるえが意味のある音となって彼女の鼓膜をひびかせることができたようで、胸の鼓動がすこしおさまっていく。
 二声目はもうちょっとなめらかに言うことができた。
「知らないっていうのはですね、あの、わたしは不登校で……」
 彼女の体がびくりと固まった。
「……不登校なの?」
 わたしの声はさらになめらかになっていく。
「ええと、少なくともこの制服を着ている学校に一度も足を踏みいれてないという意味で、わたしは不登校なんじゃないかなーって個人的には思うんですけれども……」
「は? ごちゃごちゃなんかよくわかんないんだけど!」
「ひっ」
 固まっていた身体が再び動きだし、苛だちを隠そうともしないで彼女はわたしにずいっと近づいてきた。額と額がぶつかりそうなくらいだった。瞳の虹彩が淡いブラウンだなぁ、とわたしは意味もなく思った。
「結局さ、あんたは不登校なの? 不登校じゃないの? どっちなのよ?」
「ふ、不登校じゃないですかね」
「『じゃないですかね』じゃなくて、『はい』か『いいえ』で答えて」
「ええっと、は、はい」
「でも、わたしはあんたのことを知らない」
「それは……初対面だからじゃないでしょうか?」
「ちがうの! いや、あんたとわたしが初対面なのはちがくないんだけどさ……」
「はあ」
「つまりどういうことかっていうと、わたしは不登校の生徒の名前と顔写真はぜんぶ覚えているの。だから初対面がどうとか問題じゃないわけ。……だけど、わたしはあんたを知らない」
「覚えてるのですか……?」
「そうよ。名簿があるの。ふつうの生徒には見れない名簿がね。そこには全校生徒の個人情報がなんでも載ってるの。わたしはその名簿を見れて、全部覚えてるのよ。すごいでしょ」
 いつの間にか彼女はすっかりわたしのすぐ傍にいて、いつでも彼女の首なんかに手を伸ばせそうだったけれど、彼女はわたしにじっと注意を向けていて実行に移すのは難しそうだった。
「だからあんたの言ってることは信じらんない。嘘よ」
「えぇ? ウソとかそんなこと言われても……」
 話の主題がわたしにある限り、彼女はわたしに注意を向け続けるだろう。話をずらして彼女の意識をわたしから外してみるのはどうだろうか。彼女にスキができるかもしれない。
 わたしは質問を質問で返すことにした。
「と、とゆうか、あなたは誰なんですか? ふつうの生徒には見れない名簿を知ってるって、ええっと、どうして?」
「どうしてかって? だってね、わたしは風紀委員だもの!」
 そう言う彼女はどこか誇らしげで、その時ようやくわたしは彼女の腕章が白い丸で囲まれた『風紀』という文字なのだということに気づいた。
「風紀、いいん?」
 不登校歴の長いわたしは言葉の意味がよく飲み込めず、目を白黒させることしかできなかった。
「そう、風紀委員」
「……?」
 彼女がちょっと見直した風にわたしへのまなざしを変えた。
「……へえ、あんた、案外度胸あるのね。風紀委員の前でそういう態度が取れるってなかなかのものよ」
「……?」
 わたしは首をかしげた。
「?」
 彼女も首をかしげた。
「……えーと、もしかして、知らないの!?」
「あー、はい」
 彼女がなんだか幼児をあやす風な優しさにわたしへのまなざしを変えた。
「あのね、風紀委員っていうのは、学校の中でも優秀な人間しか選ばれない仕事なの。風紀正しい理想に忠誠を誓って、信念を持って、学校の秩序を守る理性の番人なの。学生議会でくだらない議論ばかりしてて何の役にも立ちやしない生徒会のやつらどもなんかとはもう質が違うんだから!」
「はあ」
 つまり、よくわからなかった。
 すらすらと自分の話をする彼女を見ながら、今ならやれると思ったのだけれど、なぜか彼女が嬉しそうではなくて、とゆうか正確に言えば嬉しそうなのだけれど、どこか空虚さが彼女の口端からこぼれだしていて、わたしは覚悟を実行することができなかった。

 ということで、ことばをさらに連ねようと試みる。
「なんというか、えらくてすごいひとなわけですね」
「ん……まあ、そんなとこかも。偉いんじゃないけどね」
「どうしてここが? 崖の上からじゃ見えないはずじゃ……」
「松林のとこであんたを見かけたのよ。なんか木陰でこそこそして腕時計見てたでしょ? 怪しいから近くの藪に隠れて見張ってたの。後をつけたら、ここについた。それだけのことよ」
「気づかなかった……」
「あんたバカにしてるの? わたしは風紀委員なのよ。風紀委員は不良学生を取り締まらなきゃいけないの。尾行技術は入学してから厭になるくらい叩きこまれたんだから! あんたなんかに気づかれるはずがないわ」
 なんということだ。風紀委員というのはおそろしい。
「でも、よくこの崖を降りれましたね。初めてじゃ絶対無事に下までたどりつけないはずなのですけれども……」
「あんたほんとはわたしをバカにしてない? あんた降りたじゃない。それを見てたらどこに手を置いて足を置けばいいかわかるから、その通りに降りた。それだけよ」
「そんな簡単に覚えられるんですか……」
「風紀委員の過酷な訓練とか、あんた噂でも聞いたことないの? 最初の一ヶ月は山籠りしなきゃいけなくて、しかもくれるのが空のペットボトルだけでさ、だからまず食糧を確保しなくちゃいけなくて……」
 彼女が自分の訓練が大変だったか饒舌に語りはじめて、視線がすっとわたしから外れた。
 チャンスだ。今やるしかない。

 わたしは動いた。両腕でがしっと彼女の腹部をかかえて、そのまま地面に押し倒す。彼女は突然のことにうまく対応できないで、柔らかい砂の上に倒れこむ。ばたばた抵抗する彼女の足をわたしの足を絡めて抑えこむ。そうして彼女の細い首をきゅぅと絞めあげる。だんだん彼女の抵抗が弱まってついにぱったりと動かなくなる――
 はずだったのだけれど、最初に彼女のおなかに跳びこんだ時点であっさり返り討ちにされた。すごく強かった。筋肉のつきかたからして違っていて、やせっぽちのわたしの貧弱な身体ではぜんぜんかなわなかった。腹筋がすごかったし、おっぱいもけっこう大きかった。
 わたしを簡単に砂浜にのしてから、彼女はぱんぱんと軽く手をはたいた。
「まったくもう……弱すぎでしょ。だいたい最初っから殺気がばればれだしさ。わたしが風紀委員だって言ってるのに……。ほんとに風紀委員知らないのかな」
 まずい。このままじゃ逆にわたしが海の藻屑になってしまう。わたしは力一杯の猛速度で、土下座した。ばつん、と額が砂浜に半分くらいめり込む。
「あの、あの、ごめんなさい、赦してください……」
「ふーん、ゆるしてほしいんだ。じゃあ、最初の質問に戻るわよ。何をしていたの?」
「それは……」
「死体の金品を盗んでたんでしょ。この死体は自殺でしょ? ここ名所だものね、自殺の」
「えと、えと、その通りです……」
「ふーん。それで生活してるんだ」
「あの、わたしは家出をしてて、それでお金がなくて、ここに飛びこみした人が流れてくるから……」
「ふーん。家出してるんだ。どこに住んでるの?」
「えと、あの、崖の上に松林ありますよね、そこに小屋をつくって暮らしてるんです」
「へー。長いの?」
「半年、ぐらい……」
「ふーん」
「だから、その、赦してください、お願いします!」
「まあ、仕方ないよね、生きるためだもん」
「あ、はい!」
 これは、うまくいくかもしれない。
「だから、わたしがあんたを襲っても仕方ないよね。生きるためだもん」
「え」
 彼女はわたしをじっと見つめたままで、微動だにしなくて、血の気がさあっと引いた私のつめたい頭は冷静にこれはもう駄目かもしれないな、そう思ったのだけれど、彼女はそのまましばらく見つめていたかと思うと、ぽつっと言った。
「わたしの行方は、誰も知らない」
「……え?」
 わたしはぽかんと口を開けたままで、彼女のことばがどういう意味だか分からず戸惑っていた。
「えと、ほら、『下人の行方は、誰も知らない』。」
 彼女がすこし照れながら言い直したみたいだったけれど、やっぱり意味がよく分からなかった。
「げ、げにんですか?」
 わたしの反応に、彼女は焦っているみたいだった。
「ほっ、ほら『羅生門』よ。国語の教科書のさ。ちょっとした冗談だって。……ねえ、笑ってよ、なんかわたしがバカみたいじゃん」
「らしょう、もん……?」
「えと、もしかして、羅生門知らないの?」
「し、知らないです」
「……」
 額にへばりついた砂粒がさらさらと流れて視界を邪魔して、わたしは遠慮がちに拭った。
「……あんた、もしかしてほんとのほんとに不登校なの?」
「そうだって言ってるじゃないですか……」
 どうやらよくわからない誤解がようやく解けたようで、自分はふっと緊張が抜けてぺたりと膝小僧を砂浜に落として放心してしまうかなと予想したのだけれど、意外なことに脱力したのはわたしではなくて彼女のほうだった。わたしはびっくりした。
「あ、あはは、不登校なんだ。そうなんだ……」
 彼女の表情はどう言えばいいのかなんとも難しくて、嬉しくてかなしんでいるような、けれども睨みつけていた時みたいな緊張が抜けて、なんだか可愛らしい顔つきのひとだな、とわたしは思った。素顔というやつかもしれない。
「……それで、高校はどれくらい行ってたの?」
「あの、はずかしながら一度もぜんぜん行ったことないのです」
「そっか、じゃあ、ほんとに風紀委員も知らないのね……」
「す、すみません」
 わたしは心証を好くしとこうとぺこぺこ頭をさげる。と、彼女はゆるく手を振る。
「いい、ぜんぜん構わない。……なんか気が楽になっちゃった」
「はあ、そうなのですか?」
「というかさ、敬語もやめて、お願いだから」
「えと、でも、風紀委員さんってえらいひとなんですよね……?」
「えらくないって言ってるじゃない。……それに、」
 彼女はぺたんと今度は腰を砂浜に降ろして、膝を両腕で抱え込んだ。
「わたしはもう風紀委員なんかじゃないもの」
 砂浜の向こうの海は不思議なくらいに凪いでいて、彼女の呟くような声も波の音にかき消されはしなかった。
「もう学生でさえないもの」
 そう言って彼女は自身の細い顎を膝の上に乗せて、けれど、灰色の砂がついた膝はきっとざらざらしているに違いなかった。
 どう声をかけていいかわからなかった。
 それでも何か言おうと思って、喉を鳴らして、無意識にこう言った。
「あ、あの、それじゃ一緒に暮らします……?」
 彼女は顔を上げた。わたしはあわてて取繕う。
「いえ、その、厭だったら別にぜんぜんいいのですけれども。バラック小屋、ぼろいですけど、結構広めに造って案外自信作だったりするので、その、あの」
「いいの……?」
「あの、わたしとしては個人的にはそんなに気にしないというか、その」
 突然、彼女は立ち上がって、あまりに唐突だったのでわたしはびっくりしてたたらを踏んだのだけれど、踏みそこねてしまってびたんと砂浜に尻餅をついてしまった。痛い。
 彼女はぱんぱんとお尻や膝小僧についた砂を払うと力強く宣言した。
「決めた。あんたのとこにお世話になるわ」
「あ、はい」
「そうと決まれば早くそのバラック小屋に行きましょ。潮風に当たって冷えちゃったわ」
 くるりとわたしに背を向けて、すたすた彼女は崖の手前まで歩いていって、そのまま崖に手をかけようとしたのだけれど、一瞬停止してからもじもじしていたかと思うと、わたしのほうを振り返って怒ったように言った。
「ねえ、登り方わかんないんだけど!」
「えと、えと」
「わかってるわよ、風紀委員だから降りれたとかえばってたくせにどうして登れないんだっていうんでしょ。違うの! あんたが登ってるとこ見てないからわからないだけなんだから! はやくこっちきて先に登りなさいよ!」
「えと、その、ちがいます」
「ふん、違うってなにがさ」
「あの……これ」
 わたしは足元を指差した。その先にはそろそろ死後硬直が緩んできたサラリーマンの水死体が転がっている。
「あ……そうね」
 わたしと彼女は協力してサラリーマンの死体を海に流した。初めての共同作業というやつだ。財布の中身は三万円だった。

 こうして、彼女とわたしの共同生活は始まったのだった。