#1

 街から少し離れたところに急峻な崖があって、海を切り裂くように尖った先端はちょっとした自殺の名所になっているのだけれど、その踏み馴らされて平らになった岩盤からあまり遠くない松林の中にわたしは住んでいたりする。
 住んでるといったけれど、家出している間にそこで寝起きしていてそのまま今に至るという感じだから住むっていうのとは厳密には違うのかもしれないけれど、遠く外国から浜辺に漂流してくるガラクタを組み合わせて作ったバラック小屋は個人的には結構きにいっていてそれをおうちだって呼ぶことにやぶさかではない。むしろ家出中の女子高生というわたしの客観的な状況がたぶんまちがっていて、だから住んでいると言ってもきっと大丈夫。まあ、電気ガス水道はもちろん通ってなくて、スマホの電源が切れたってわたしはあんまり死んだりしないというのはひそかに大発見だったりしたのだけれども。
 そう、わたしが住みついているここはちょっとした自殺の名所で、トージンボウとかケゴンノタキとかそういう全国クラスの有名どころほどではないのだけれど、最寄の街がわりかし人口の多い街だからなのかもしれないけれど、地元では知られてるクラスの名所にしてはけっこう自殺志願者がふらふらやってくる。まあ、バス停からも近いからね。
 どれくらいけっこうやってくるのかと言えば、週に最低四人、多い時は一日で五人の薄幸そうな人が来るものだから、運悪くふたりの自殺志願者が鉢合わせになることもままあって、ふたりの自殺志願者が鉢合わせになるとふたりとも自殺をためらうのか、たいていの場合しばし会話してそのまま帰るのが基本なのだけれど、このあいだは仲良くなってそのまま仲良く自殺するという初めての事態を目撃してかなり焦った。年若い女の子と老紳士だった。人生は謎だ。
 それでもふたりが出会うってのは珍しいことで、ふつうは孤独なひとりが能面のような顔をしておぼつかない足取りで崖にやってきて、平らになった岩盤でしばし足踏みをしてためらっているので、ふたりの出会いの代わりにという訳でもないのだけれど、松林から姿を見せて、声をかけるのだ。こんなふうに。
「もし、もし、死ぬんですか?」
 われながら残念なセンスの言葉だとは思うのだけれど、さすがに死に直面している人に馴れ馴れしい話し方をするのもどうかと思うし、よけいな情緒や親密さを言葉に込めるのも柄じゃないかなと思うので、このほどほどにダサくて距離感のある話しかけ方がよいのだ。そう思い込むようにしてる。それに、話しかけ方の試行錯誤をしていた時のことだけれど、下手な親密さは自殺志願者にいらぬ欲動をかきたててしまうらしいということを経験的に学んだし。
 松林の繁みから、「もし、もし、死ぬんですか?」とまるで電話越しに話すような口振りで自殺志願者へと声をかけると、崖の上で足踏みをしていた彼ら彼女らはぴたりと動きを止めるのだけれど、それから恐る恐るといった表情で振り返ることから察するに、たぶんまず幽霊の可能性をみんな頭に浮かべるものらしい。そのこわごわと細められた両目が制服姿のわたしを捉えるとびくっと体が少し震えて、視線が上から下へブレザーからチェックのスカートへそして足を覆うソックスとローファーへと移ってわたしが幽霊ではなく生きていることを確認するのだけれど、わたしの制服はこの辺りの地域ではわりとお洒落な雰囲気で売っているものだから、幽霊ではなくてもわたしと松林はなかなか幽玄な非日常感が出ているらしい。ミステリアスな感じなんだろう。
 孤独に死のうとしている人がそうやってわたしを発見してそれからの展開は細かく話せば十人十色というやつでそれぞれ違うのだけれど、結論だけに限定してしまえば簡単な話で展開はふたつしかない。死なないか、そうでないか。それを見分けるのは単純で、わたしの問いかけに返答するなら、たとえ「はい、死ぬところです」という肯定でもあるいは「いや、まあ……」といったあいまいな言葉でもあるいは「いや、そういうわけじゃないんです……」という否定であっても、反応をかえしてくるひとだったら、もう間違いなくそのあとは死なない。身の上話をしたりしなかったり、わたしの個人情報を訊いたり訊かなかったりはそれぞれだけど、いったん会話が始まれば、さすがに気持ちが落ち着くのかそのまま帰っていく。やっぱり孤独はけっこうつらいものらしい。
 死んじゃうひとはそれとはまったく対照的でわたしのことばにぜったい返事をしようともしないで、まるでわたしがいないみたいにそのまますっと崖の上から身を投じるのだけれど、ちょっとばかし可愛い程度のさえない女子高生(学校行ったことはないけど)が声をかけたくらいでは癒せない死への誘いの強さはどういうのなんだろうと、ときどき考える。わたしは家出少女とはいえ、けっこう生にはがめつくて、一度も死のうとなんて考えたことがないから、どうしても死んでしまう人たちのことがわたしの理解の範疇外にあることを否定することができないのだけれど、彼ら彼女らの存在は頭のすみでぼんやりとはさまっているのだ。死ぬ前からすでに幽霊みたいだったあの人たち。
 ちなみに崖の下は波濤が激しくうずまく荒れ狂った海なんだけれど、意外と深さはそんなになくてわたしでも学校指定のローファーを履けばぎりぎり靴底がかすれるあたりにごつごつと尖った岩がたくさん並んでいる。ので、崖の上からじゅうぶんな速度で落下した彼ら彼女らは、そのままどぼんと海に入って、大して減速することなく岩に激突して即死してしまうのだけど、複雑な潮の流れはそうやって即死したひとをごろごろと転がして、崖の下の絶妙に窪みになっている浜辺へとすぐさま運ぶ。その浜辺の窪みは崖の上や海からではちょうど見えない感じになっていて、ここで身を投げたひとは全員そこに打ち上げられるのだけれど、誰もそのことには気づいてなくて、相変わらずここは死体が不思議と打ち上げられない自殺の名所として知られているのだ。わたしを除いて。
 だから、この崖にやってきた人が飛び降りるか飛び降りないのかを確認するのはわたしにとってはわりかし重要なことで、人が落ちたのを確認したら浜辺で拾った腕時計をみながら一時間ほどぼんやりと待っているのだけど、そろそろかなと大体あたりをつけるとわたしはその窪みとなった浜辺へと降りていく。
 はしごや階段なんかがついているわけじゃないから、ぱっと見た限りでは三方を急峻な崖で囲まれ残りの一方は荒れ狂う海でたとえわたし以外の誰かがこの浜辺を発見してもきっと近づくことはできないだろうけれど、わたしはこの崖の住人で何回もの試行錯誤をしてきたおかげで、ごつごつした崖の細かな尖り方のちがいを見分けることができるようになって、ロッククライミングみたいにというかロッククライミングそのものなんだけれど、両手両足を使ってするりと浜辺まで降り立つことのできるポイントを発見しているのだ。
 両手に軍手をはめて指を切らないようにしてからおもむろに慎重に注意深く崖の表面のわずかなでっぱりに手足をかけるのだけれど、わたしの足をつつむローファーはすべりやすくてちょっとでも失敗するだけでわたしの身体は宙へと投げ出されて飛び降りた人たちと同じようになってしまうので気が抜けなくて、軍手をはめた両手を支えにしてローファーの足はどちらかというと添える程度の力加減で手早く浜辺へと降りていくのだけれど、そのあいだ、打ち寄せる激しい波の音がわたしの耳朶をも打つ。ざざーんざん。
 首尾よく浜辺の砂地へと降り立ってわたしはゆっくり歩いて海の方へと向かうのだけれど、ちょうどその頃には灰色の波に運ばれた躰が陸と海の境目でごろごろと転がっていて、頭がぱっくりと割れていることを無視すればの話だけれど、衣服や装飾品も含めて思ったよりけっこう綺麗な身なりのままだ。でもたまに衣服がすっかり脱げてしまう躰もあって、複雑な自然の海流のはたらきは神秘にみちている。
 まあ、とにかくたいていの場合は綺麗な格好をしていて、わたしはそうして波に合わせてごろごろ転がっている死体をずるずると引き摺って、波打ち際のとある一箇所、そこだけ潮の流れが反転して外海へと勢いよく走っているところへと持っていく。そこは他とちがって微妙に澄んだ灰色をしていて、その透きとおった灰色にまで持っていった死体がうかびあがるようになってそれから手を離すと、死体はまるで逃がしてやった魚のようになめらかに流れていってすぐにかすんでいく。けれど、消えていく直前の瞬間、海流のせいなのかびくんと一度だけ手足をでたらめに動かして、そのばたつきがどこかもの悲しい。
 死体を海へ還す前にいつもしていることがあって、これはちょっと言いにくいのだけれど、躰が身につけているものをいくつか生活のために失敬していて、死体に近づいて本当に死んでいることをチェックしてから、わたしは金目のものをふところに収めはじめる。もちろん崖の上に誰かがいて、わたしのことを見ていないのかを確認してからだけど。優先順位として一番重要なのは当然ながら財布の中に入っているお金なのだけど、自殺に臨む時には人は可能な限り綺麗な身なりをしたいと思うらしくて、特に女の人はネックレスやイヤリングなんかはけっこう値の張るものをつけてるし、男の人でも腕時計や指輪なんかの装飾品はなかなかのものだ。そういうのを質屋にいくと万札でけっこう貰えたりするのだけれど、個人が特定できそうなイニシャル入りのものとかはそのままにしておく。もし警察なんかに知られたら困るからね。
 すぐお金になりそうな小さなものを手早くいただくのだけれど、背格好が似た女の人だとちょっと手間をかけて衣服も貰うことがある。外に出る時は制服を着ていて、それで構わないし人から見られても自然で怪しまれないからいいのだけれど、バラックの中にいる時まで制服だとさすがにへたっちゃうので、部屋着のためにわたしが着れそうなものはついでに貰っていくのだ。海水をすっかり吸っていて乾かしても形が崩れちゃっていることも多いけれど、着るぶんには大丈夫で、けっこう重宝している。
 ちなみにそうやって手にしたお金で生活必需品を買うのだけれど、崖の近く、バス停の真ん前にこじんまりとしたコンビニがあってそこを利用しているのだけれど、最近は店員のおばあさんの眼がなんだか訝しげにわたしを捉えていて冷や汗が出るのを否定できない。実際問題こんな辺鄙なところに頻繁にやってくる制服姿の人間なんて怪しい以外のなにものでもないし、うつむいて一言も発しないおかげでおばあさんとコミュニケーションを取らないことには成功しているのだけれど、いつ警察を呼ばれても不思議ではないので、この頃はバスに乗って街まで買い出しに行くことも多い。少額とはいえ蓄積するバス代はけっして馬鹿にはできないし、わざわざ時間をかけて街まで行くのは面倒くさいし、なにより人がたくさんいる街ではいつだれに会うかしれたもんじゃないのだ。まがりなりにも家出少女なのだから、人目を気にしなくてはいけなくて、いつも行く途中のバスの車内ではどきどきして神経をすり減らすし、帰りのバスではほっと眠りこけてしまう。なにしてるの? そりゃ帰りも気をつけなくちゃいけないのだけれど、街中よりは安全だからつい寝てしまうの、の、のだ。
 だ、だ、だ。
 だ、だ。
 だ。

 『なにしてるの?』

 ……思考停止。
 おちつけ、わたし。
 まずげんざいの状況を確認しよう。
 場所=崖の下の浜辺。時=午後二時。わたし=サラリーマンの死体のポケットを漁っている。
 顔を上げる。
 女の子が立っていた。女の子が腕組みをして立っていた。わたしと同じブレザーのお洒落な制服を着た女の子が腕組みをしてこちらをにらみながら立っていた。
 彼女はわたしを見下ろしながら、ゆっくりとはっきりと言った。
「な、に、し、て、る、の?」
 わたしは錯乱した。
 見られた見られたとうとう見られてしまったどうしようどうしようどうしよう死ぬしかない死ぬしかない死ぬしかない死にたくない死にたくない死ぬくらいなら殺すしかない。
 よし、やるしかない。
 わたしは覚悟を決めた。
 

(つづく)