たえず小さな蠅がどこからやってきて、視界を邪魔する。潰す。またどこからかやってくる。しかしこの永久運動は止むことがない。

人生訓のようなことをつらつらと考えてしまう。なんだ、その、欲望されるままではいけない、欲望するのだ、欲望するのだ!イデオロギーの呼びかけに従って何かを何者かを欲望しなくてはならないのだ。そうでなければわたしたちの尊厳がどこまでも貶められてしまうのだ。欲望されるということはそういうことなのだ。云々。

とか。

結局、「はやく近代的主体になりたーい」ということの言い換えの最新ばーじょんに過ぎない。とうとうと堂々巡り。環境が変化しない以上、際限ない言い換えに終始するほかないのだ。あとは奇跡の変換ミスに期待するのみ。そういうダウナーな感情がこのごろは強めかも。

 

今日はスーパーに買い物に出かけて、行ったことのないラーメン屋でラーメンを食べた。わりとおいしい。外食をする、ということにようやく体が慣れてきて、今日は入店し、注文し、待ち、食べ、支払い、去るという一連の行為の間に、緊張や足のがくがくする感じ、挙動不審が抑えられているように思えた。ものを買う、という行為は純粋な行為であるべきなのだろう。身体技法ってやつだ。考えてはいけない。満足することは決してないのだから。そうして資本主義になれていくのだ。

ああそうだ、ツタヤでDVDを返却したのだった。『男たちの挽歌』と『東京物語』、どちらも満足できるようなものだった。『男たちの挽歌』のスローモーションのバイオレンスが好みであった。