咲と小説

今週で授業が終わった。あとはレポート書くぐらい。

いまさらながら夏休みの長さに怯えている。これまで1ヶ月くらい海外旅行することでなんとか時間を凌いできたのだけど、初めてずっと日本にいることになるのでなにをすればいいかわからない、恐怖。勉強をすればよいのだが。未来のことを考えるのは苦手。

 

『咲』みたいな小説。

つまり清潔で異形とも言えるキャラクターデザインを素地として、本性としての「人間」(ユマニテ Humanité)が濃密に織り込まれている(読者にそう読み込まれる)、そのような描写が可能な小説。

根本的な困難は、言語はデザインではない、少なくとも日常言語は異形をデザインしないという点だろう。だからかなり意識的に造詣をつくらなくてはならない。

おそらく、キャラを制限、削ぎ落とす、という種類のデザインがそこには必要だろう。

だから、条文。フランス人権宣言のように、箇条によってコードと成す、そのような創りがひとつとしてあるのではないか。このあたりからかなり、論理を無視した電波に近くなる。直感に過ぎない。

制限、キャラクターや言語への制限という意識を全開とするために、いちばん簡単な方法は現代日本ではない世界を設定することだろう。ただ惜しむらくはその有効な世界を我々はいまだ持ち合わせていない。そこをうまく切り開ければ、あるいは。

人間主義と非キャラクター主義が重なる、わずかな地点に立つことができれば、それが目下の理想である。